1. モリシタ@ホーム トップ
  2. モリシタ@ホームってどんな会社?
  3. 森下泰成物語

モリシタ@ホームってどんな会社?

森下泰成物語代表 森下泰成の生い立ち

森下泰成物語モリシタ@ホームの社長 森下泰成(もりした やすなり)の山あり谷あり物語です。

いつもスタッフ、職人のみなさん、仕入れ業者さん、そしてお客様に支えられているのだとしみじみと感じました。


Story5 長いトンネルの向こう

 
一時期は、気持ちが余りに落ち込んで、投げ出してしまいたくなる気持ちをコントロールするのが難しい時期もありました。毎日深夜まで会社に残って新しい商品アイデアを考えたり、チラシの図案を練り続ける日々。それでも一向に改善されない業績に、自分さえいなくなれば会社の赤字は解消されるのではないか?そんな疑念にかられ、背広のポケットに辞表をしのばせていたこともありました。そんな時、いまでは師匠と仰ぐある方との出会いがありました。その方の一言が変化のきっかけとなったのです。

『森下さんはなんのために家づくりをしているの?』

ウチは代々大工の家系です。曾祖父の時代から家には大工道具が揃い、朝起きれば祖父や父がカンナを研いでいる。私もそんな家で育ちました。そんな私たちにとって『家づくり』は余りにも身近で当たり前すぎることだったのです。だから、今更『なんのために』と考えたことなどありませんでした。この質問は私たち兄弟を苦しめました。考えれば考えるほど奥が深く、答えは簡単にみつかりませんでした。

何日も何日も兄たちと議論を重ねながら、私の頭に思い浮かぶのはやはり父親の後ろ姿でした。そして、その父を支えながら私たちを育て、父が亡くなったあとも見守り続けてくれた母親の存在でした。子供の頃、歳の離れた兄達はよく私とプロレスごっこをして遊んでくれました。朝が早く、夜は8時にはもう寝てしまう父でしたが、たまには一緒にプロレスごっこをしてくれる時もありました。そんな時はうれしくてうれしくて、私は父を放したくなくて、いつまでもはしゃいでいたことを覚えています。今思い出しても涙がでてくるような、そんなかけがえのない空間としての『我が家』がそこにありました。

『家族が、健康で、仲良くなるために。そのために、家づくりをする。』

兄の口から出てきたこの言葉は、私の胸の中で共鳴しました。私もまったく同じ思いだったからです。それからももちろん紆余曲折はありました。けれど、私たちの中に生まれた思いは揺らぐことはありませんでした。それからの私たちはこの思いの実現に向けてまっしぐらでした。家づくりを失敗しないために知っておいて欲しいことをまとめた小冊子を何種類も作ってお客様にお配りしたり、子育てに悩むお母さんを集めて勉強会を開いたり、家を建てて下さったOBさんに家族全員で参加してもらえる『鮎狩り』や『餅つき』といったイベントを開いたり。私も兄たちも家づくりに対する思いを本にして出版したこともありました。

また、お客様への接し方もずいぶんかわりました。家づくりは家族の絆を強めるものでなくてはいけません。家族でしっかり話し合う、ご両親にも相談する。収入と不釣り合いなローンは決してお勧めしない。すべて『家族が、健康で、仲良くなる家づくり』のために。私たちはとことんそのお手伝いをするようにしました。安かったらいい、見た目さえよかったらいいという方には他社をお勧めしました。それから、家づくりにおいて見たくない現実(例えば親との同居など)から目を背ける人の家づくりはお断りするようになりました。試行錯誤を繰り返しながら、ようやく自分たちのスタイルが出来上がってきたという実感が持てたとき、気がつけば見学会に毎回100組以上のお客様が列をなして来てくださるようになっていました。新築事業はようやく長いトンネルを抜けました。


Story06 またしても訪れた試練、そして希望

 
「好事魔多し」とは、まさにこういうことを言うのでしょうか。新築住宅のお客様が着実に増えはじめた矢先の平成17年2月、それまでの疲労が積み重なったせいか、私は大きく体調を崩し、しばらくの期間、仕事の第一線に立つことができなくなったのです。せっかく事業がうまくいき始めた時期だっただけに、私の落胆は計り知れないものでした。「なんでやねん!」。悔し涙とともにそう叫んだことも一度や二度ではありません。

病状は意外と深刻で、結局職場復帰には2ヶ月、完全復帰にいたるまでには、さらに1年余りもかかります。その間、コントロールのきかない体を持て余しながら、悶々とした療養生活が続きました。いつ、どこで体調がわるくなるかわからない恐怖感。夜中に突然目が覚め、呼吸困難に陥ったこともあります。そんなとき、母親はいつまでも私の背中をさすりながら、励まし続けてくれるのでした。『あんたは大丈夫や、心配せんでもええ』。病魔によって人生の希望を失いかけていた私を、またしてもぎりぎりのところで母が支えてくれました。

平成19年5月。私は今の嫁さんとめぐり逢います。いとこの紹介で知り合ったのですが、出会った瞬間に『あ、俺、この人と結婚するんちゃうか』、なんて予感がしたほど、自分にとって運命的なものを感じた出会いでした。付き合いを重ねるにつれて、私は彼女の、誰にでも優しく、朗らかで、それでいて芯の強い、気丈な性格に惹かれていきました。それでも私は自分の体調のことが気がかりで、素直に彼女に結婚を申し込むことが出来ませんでした。

落ち着いたとはいえ、いつまた体調が悪くなるかわかりません。私はそのことを正直に彼女に伝えました。すると彼女は、真顔で私をみつめながら、『大丈夫。私が守ったげる』と答えたあと、『だから、私に捨てられんようにせないかんよ』と言って、にっこり笑いました。

私たちは出会って1年後の平成20年5月に結婚しました。そして翌年には長女が誕生。長女が生まれるとき、分娩に立ち会った私は『あんなに泣かれたご主人さんは初めて』と、看護師さんに驚かれるほど号泣してしまいました。いろんなことに悩み、もがき続けてきた私にとって、そこに生まれた新しい『命』はまさに、希望であり、光そのものに思えたのです。翌年には次女が誕生。分娩に立ち会った私は、またしても号泣し、看護師さんを呆れさせるのでした。(笑)

Story07 見つかった自分の使命

 
『人生はいつもベストなことが起こっている』。今私はこの言葉を実感しています。どれだけチラシをまいても、一組のお客様にも来ていただけない時代がありました。でもだからこそ、今来てくださるたくさんのお客様に、心から感謝することが出来ます。また、あれだけ苦しめられた経験をしたからこそ、今は健康のありがたみを実感することができます。そして、いろんなことを乗り越えながら、35歳まで独身でいたからこそ、嫁さんに出会えたし、子供たちも生まれて来てくれました。(笑)

今、健康であることに心から感謝し、喜べる自分がいます。そして、私に生き方を教えてくれた父親、辛かった時いつも支えてくれた母親、父が亡くなったあとに父親代わりとなって導いてくれた兄たち、人生のパートナーとしてなくてはならない存在の嫁さん、そして、そこにいるだけで笑顔にしてくれる子供たち。私の大切な家族一人一人の存在こそが私の幸せなんだと、心の底から思うことができます。

先日私も家を建てました。(もちろんローンで買いました。)さて、どんな家にしようかといろいろと話し合いをしている時、嫁さんが一言だけ注文をつけてきました。『間取りや設備はプロのあんたに任せる。ただ、子供たちが元気に遊べる空間だけはとってあげてね。』ああ、そうだ、その通りだ。それが僕らの幸せの形だし、家づくりの原点だ。そう思うとなんだか心がじーんとしました。そしてもう一つ思ったことがあります。『ええ嫁もろたなあ、俺はなんて幸せもんだ』と。

『家族が、健康で、仲良くなるために』。これこそが私がやりたい家づくりなんです。立派な家を建てたからと言って、それで幸せになれるんじゃない。幸せの形は家族の数だけあるのだから。家を建てるという人生の一大イベントの中で、家族が話し合い、理解し合い、許し合う。そして、お互いの人生を思いやっていく。このプロセスの中にこそ、幸せがあるんです。『家づくり』は『家族づくり』なんです。その機会を提供し、アドバイスをしていくこと。その結果、一組でも多くの家族が、健康で、仲良く暮らせる家づくりのお手伝いができればいい。

これこそが、私がこれから一生かけて追求していく人生の目標であり、使命なんです。

長い長い私の話にお付き合い下さってありがとうございました。
今度はぜひ見学会でお会いしましょう。

  • 最初に戻る
  1. 森下泰成物語
  2. [1] 父の記憶
  3. [2] 正義感は人一倍
  4. [3] 進むべき道に迷っていた頃
  5. [4] 飛べない翼

  6. [5] 長いトンネルのむこう
  7. [6] またしても訪れた試練、そして希望
  8. [7] 見つかった自分の使命