モリシタ@ホームの社長 森下誉樹(もりした たかき)の山あり谷あり物語です。
いつもスタッフ、職人のみなさん、仕入れ業者さん、そしてお客様に支えられているのだとしみじみと感じました。
現場監督を皮切りに設計、営業設計、工事責任者と技術系社員として働きました。朝8時から夜中の12時まで休みなく働き、楽しさと厳しさを経験しました。一方で仕事を取る為には数千万円の投資の展示場や外人部隊のような営業マンが必要だということや(もちろん、お客様の為徹底的に尽くす凄みを感じたことも多かったです。当時の営業の先輩は今ソニー生命のトップセールスの人もいます。)商売基本について学びました。 その後、家業であるモリシタ・アット・ホームにもどってくることで、もう一社大手メーカーと縁を持つことになります。それは、旭化成ホームズ(株)(ブランド名:ヘーベルハウス)という会社です。旭化成さんとはS62年頃姫路エリアに本格進出から今まで850棟くらいの建物を施工させてもらいました。別 にもちあげる気はないですが、この会社はとても紳士的で都会的にでした。( 父は昔、大手ゼネコンの下請けをしてイヤな目に遭っていて、大手に対してすごくアレルギーがありましたが、少しづつ付き合ってみて指定工事店になりました。) 業界人として言うなら、大手のハウスメーカーの中で、旭化成の品質管理は文句なくNO1だと思います。そんなわけで、品質管理の部分をとても鍛えてもらいました。 職人気質の我が社は、計数やその分析に基づいてみるメーカーの思考法がとても勉強になりました。CPME(工事と材料と手間に分け、作業コストをミクロに分析する手法です。)や職人さんをローテーションで段取りしてマクロに合理化するなど、私たちの施工屋としての生産性は、パナホームでの知識とプラスしてかなりアップしました。 |
1990年の11月、女房と縁あって結婚しました。新婚旅行も生意気にヨーロッパなんぞにいかしてもらい、帰ってきました。
帰国後、出社初日の夜、会社で 「親父、帰るぞ!」 「おう、新婚ははよ帰れ!」 そんな会話をかわし、新居のマンションへ帰りました。 よく日、早朝お袋から電話が・・・・ 「おとうちゃんが倒れた。すぐ来て!」 あわてて実家へゆくと、親父は意識もうろう。オレの手をギュッとにぎるけど言葉は出ません・・・。すぐ病院へゆきましたが、5日後には他界、病名はくも膜下出血、「突然死」でした。 青天の霹靂とはあの時の私を言うのだと思います。 私は技術者でしたので、営業のこと、経理のこと(特に資金ぐり)、全くぜんぜんわかりませんでした。小さな会社ゆえ父がほとんど取りしきっていましたので、もちろんおしえてくれる人はいません。 今思えば、オジ(会長)や大番頭の坂元さん(常務)、当時のお客様(ほんとにありがたかったです)、職人のみなさん、仕入れ業者さん、よく応援してくださいました。皆さんに守られ助けて頂き今があります。ありがとうございました。そしてこれからもお願いします。 あれは、28歳の出発(たびだち)でした。 |