モリシタ@ホームの社長 森下泰成(もりした やすなり)の山あり谷あり物語です。
いつもスタッフ、職人のみなさん、仕入れ業者さん、そしてお客様に支えられているのだとしみじみと感じました。
大学卒業後は、大手のハウスメーカーに就職しました。勤務地は岡山です。在席期間はたったの1年9ヶ月だけでしたが、自分のやりたい様に思いっきり仕事ができたし、多くの先輩や終生の友との出会いもあり、とても充実した1年9ヶ月でした。もっとも仕事の方は、つまずいたり転んだりの連続。はじめの頃はそこそこの営業成績を上げていましたが、1年目の終わり頃から大スランプにみまわれ、復活の糸口もつかめず、もがき苦しみました。間違いなく契約できると踏んでいたお客様に契約寸前でキャンセルされ、何故か実家の母親に電話したこともありました。「帰ってきたかったら帰って来たらええ。でも仕事って、そんなもんやろ。お父ちゃんも姫路に出て来て、最初の仕事もらうまで何ヶ月も苦しんでたなあ」。母親の言葉で、何とか崖っぷちで踏みとどまることができました。 悪戦苦闘していた私が、姫路に帰って兄たちを手伝う決心をしたのは、会社に入って2年目の秋頃でした。その日のことは、今でもよく覚えています。外で食事をしている時、一番上の兄から電話がかかり、「話があるんやけど、今度いつ帰れる?」と言われたんです。何の話だろうと帰ってみると、「新築住宅の事業を立ち上げようと思うが、帰って一緒にやらないか」とのことでした。「これからはローコストの住宅が増えてくる。品質の高い住宅を、今までよりも安い価格で提供するんや」。兄は、いつになく雄弁でした。しかし私の気持ちは複雑でした。住宅会社で働き始めてまだ1年半、修業らしい修業はしていないし、中途半端なままで帰るのは自分の気持ちとして許せなかったからです。でも、3ヶ月の猶予をもらった末に、私は兄の申し出を受けることにしました。「もしオマエが帰ってくるなら、事業が立ち上がった後よりも、立ち上げ前から入った方がお前自身にとってもプラスとちゃうか」。そんな兄の言葉に、これ以上決断を先延ばししても仕方がないと感じたからです。「自分は間違った人生を歩いてはいない。だとすれば、どの答えが出ても、きっとそれが正しいはずだ」。そんな信念が自分の中にありました。 |
平成10年2月1日のことでした。 スタートメンバーは4人でした。設計と工事監督、すぐ上の兄が事業部長で、私が営業という陣容です。ところが勢い込んでスタートを切ったものの、待てど暮らせどお客様はきてくれません。苦心惨憺して商品開発したはずのオリジナル住宅も、みんなでアイデアを出し合ってつくった折込チラシも、今振り返るとまったく受け手の視点が欠落した独りよがりのものでしかなかったからです。「オリジナル住宅」と銘打っても、コストばかりを気にしすぎて、お客様が何を求めているのか、どんな住宅がお客様の住みたい家なのかという発想すらなく、訴求力といえば価格の安さだけ。すべてにおいて、私たちは未熟だったのです。 そんなわけですから、当然販売戸数は伸び悩み、新築住宅事業は最初の数年間、「超低空飛行」を続けます。赤字が積もり積もって大変な金額に。そんな時期もありました。リフォーム事業や他事業部が利益を上げていたからどうにか存続することができたものの、単独の会社だったら当然生き抜くことは難しかったに違いありません。大きな夢と理想を掲げてスタートしながら、なかなか利益を生むことのできない新事業に、周囲も次第に厳しい視線を向けるようになります。 営業の責任者である私にとっても、この頃は最も辛い時期でした。大手といわれる住宅会社で2年足らずとはいえ家づくりの経験を積みながら、その経験を会社のために役立てることのできないジレンマ。何とか局面を打開しようと、あらゆるセミナーや研修会に参加するものの、どこかで違和感を感じ、どうしていいのかさえ分からなかったあの頃。出口のない迷路に入り込んだような気分だったのを、今でも覚えています。でも振り返ると、強がりでもなんでもなく、そんな苦難の時代の記憶があるからこそ、今大勢のお客様との出会いがあり、信頼の絆で結ばれていることに深い喜びと感謝の気持ちを見出せるのかもしれません。 |